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中尊寺を巡る… その4

中尊寺を巡る…

中尊寺を巡る… その2

中尊寺を巡る… その3

☝の続き…

『夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡』

(野望を抱いた武士どもが戦いに敗れ去ってその跡には夏草が茂っている)

平泉を訪れた松尾芭蕉が詠んだとされる一句です☝

戦の虚しさを謳っています。

そして、中尊寺を訪れた芭蕉が金色堂を観て詠んだ一句☟

『五月雨の 降りのこしてや 光堂』

(金色堂は雨に降られてよりいっそう金色に輝いている)

光輝く金色堂は、長年雨風に晒されながらも守られてきた。

むしろ雨が降ると雨粒が屋根に残り、より輝いて見えると、金色堂の色褪せない美しさを称えていますね。

金色堂の傍には、その松尾芭蕉の像が立っています☟

そのすぐ隣には「経蔵」があります☟

奥の細道には経蔵も開けてもらって中に入ったと記述されているそうです。

芭蕉が見た物と同じ物がそのまま現存し、それを私も見ることが出来る。

感慨深いです。

その経堂の奥には「旧覆堂」があります☟

これは、その名の通り、金色堂を覆っていた建物です。

今は移築されこの場所にあるそうですが、元々は金色堂を雨風から護るために建てられたとされています。

金色堂建立から50年後には覆堂が建てられていたと言われていますから、当時の人々が如何に金色堂を大事にしてきたかが伝わってきますよね。

上述した芭蕉の句で「雨風に晒されても守られてきた」というのは、この覆堂のことなのでしょう。

ばしょさーん!!

さて、その旧覆堂から少し行くと「大長寿院」が見てきます☟

荘厳な門構え。

中の参道もとても綺麗で、神聖な空気を感じました。

奥州征伐の折にこの大長寿院を見た源頼朝は、鎌倉にこれを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔ったと言われています。

敵として滅ぼした相手を丁重に弔う。

日本人らしい振る舞いですが、そこまで想うなら戦などしなければ良かったのに…

本当は戦いたくなかったということか…?

真相やいかに…

そこから少し進むと「釈迦堂」があります☟

本尊は釈迦三尊(しゃかさんぞん)。

趣がありますね。

道を挟んで、池のほとりみ見えるのが「弁財天堂」☟

弁財天は、元々ヒンドゥー神話における創造神ブラフマーの妻「サラスヴァティ」のことです。

弁財天はサラスヴァティの仏教での名前。

高校時代、ヒンドゥー神話に興味を持ちまして、少し調べていた時期があり、サラスヴァティのことはその時に知りました。

サラスヴァティは河の化身とされていて、水の女神として崇められています。

だから中尊寺の弁財天堂は水(池)に囲まれているのでしょうか?

さて、釈迦堂と弁財天堂の間の道を進むと大きな鳥居があり、そこからずっと奥の方まで進んでいけます。

そして見えてくるのが「能楽堂」です☟

能とは簡単に言うと、神に奉げる歌と踊りによる演劇のことです。

日本の伝統芸能の一つ。

この中尊寺の能楽堂では、現在も毎年5月4日5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって奉納されているそうです。

その奉納先が能楽堂の奥にある「白山神社」です☟

中尊寺の北方を鎮守するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)がこの地に神社を設けたと伝えられています。

北方、すなわち丑寅、鬼門の方角。

仏教の寺を護るために神道の神社を建てる。

日本らしさがここにも垣間見えますね。

寺を巡り、その最終地点が神社であるという不思議。

宗教的に考えれば不思議なことなのですが、日本人の感覚としては何の違和感もないと思います。

それが日本です。

日本人の「神」という概念は、信仰の対象としての「神」であって、日常生活の一部でもある空気のような存在。

宗教とは別物の存在と捉えた方が良いと私は思っています。

仏教とかヒンドゥー教とか関係なく、日本人は「神の道」を生きる「神道」の民だということです。

なので、日本の根幹をなす神道、天皇、祭は、仏の教えを説く寺でも揺らぐことなく存在している。

まさに國體。

戦後、日本人は國の成り立ちを教えることを禁止され、現代の殆どの日本人は自分が何者であるかを知りません。

「13歳までに自分の国(民族)の神話を学ばない国は必ず滅びる。」

イギリスの歴史学者アーノルド・J・トゥインビーの言葉です。

國の神話とは、國の成り立ち、民族のルーツ。

自分が「どこから来た何者なのか」がわからないと、その國の国民であるという自覚、アイデンティティが保てず、人心は荒れて國は滅ぶ。

間もなく戦後79年。

トゥインビーの言葉が事実であれば、日本が滅びるまであと僅かです…

しかし、前述したように、私は日本人の奥底に「神道」が根付き、その精神が脈々と受け継がれていると感じています。

神など信じていなくとも、正月には神社に行く、神社に行けば柏手を打つ、朝日を見れば手を合わせる、祭りがあれば皆で楽しく神輿を担ぐ。

日本には日常生活の中に神道に通ずる文化、風習が数多く残っています。

日本人はそういった古き良き文化に触れることで、自然の中に目に見えない何か大きな存在があり、その恵みによって生かされていることを無意識のうちに感じ取っているのではないかと勝手に推測しています。

神話を学ばずとも魂に刻まれている。

だから日本はまだまだ大丈夫!

なのですが、やはりしっかり学んで自分のルーツを知り、日本人であることを自覚して生きることも大切だとも思います。

その方が、より人生を楽しく謳歌できるのではないでしょうか?

自分に誇りを持てる、健全な自尊心を育む。

その中心は、やはり歴史教育。

中尊寺を巡り、日本の文化に改めて接することで、日本の素晴らしさを再認識しました。

これが大事!

日本人全員に、日本に生まれて良かったと、日本人で良かったと、誇りを持って生きてほしい。

これほどの文化を後世に残せる國はグローバリストなどという浅はかな蛮族ごときに滅ぼされることは有り得ない。

そう私は確信しました。

これからも日本人としての誇りを胸に、何者にも惑わされることなく自ら選んだ「道」を歩んで行きたいと思います。

白山神社を後にし、最後は長い長い下り坂を降りて中尊寺巡りは終了となりました。

本当に楽しかった♪

いつかまた必ず行こうと思います☆

中尊寺サイコー!!

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