日常

仙台東照宮に参る

先週、桜舞い散る仙台東照宮に参拝してきました。

大きく立派な鳥居☝

仙台という大都会の中で、こんな風景が見られるのは何だかホッとしますね。

しかし、江戸時代に造られたのだろうと思われる狛犬は一角獣ではありませんでした。

残念。

鳥居をくぐると小さな橋を渡ります☝

桜が咲いていて綺麗でした。

そして、少し長い階段を上っていくと、大きな門構えが見えてきます☝

見上げると首が痛くなるほどの大きさ。

すごく立派でした。

その門を通り、また少し階段を上ると、ついに東照宮に辿り着きました☝

まさに荘厳。

こういう神社の佇まいが大好きです。

伝統的な美しさを感じますね。

この東照宮の御祭神は徳川家康。

様々な苦難を乗り越えながら天下を統一し、その後260年以上続く平和な江戸時代の礎を築いた徳川家康を神として祀っています。

260年以上もの間一度も戦争をしなかった国家は、世界で唯一、江戸時代の日本だけです。

平和な期間が長ければ経済が破壊されることもなく、多くの文化が花開き、風習として根付きます。

世界では、文化や芸術を作り風習としていくのは王族や貴族といった一部の特権階級の人間たちですが、江戸時代に生まれた文化の殆どが「町民」から発生しています。

古より日本の君主は天皇であり、民はその「大御宝(おおみたから)」。

その民の暮らしを預かる幕府は、主君たる天皇の意に沿うよう民が豊かとなるような政り事をしなければならない。

その世界に類を見ない平和を維持するシステムが古来から日本にはありました。

その平和を民が最も謳歌したのが江戸時代。

江戸時代には、近世日本の文化、経済、教育に繋がる制度が多く作られ、後世への影響は計り知れないと言われています。

そんな江戸時代の礎を築いた徳川家康公を神として祀っているのが、この東照宮です。

この「社会に多大な貢献をし人々に尊敬される偉大な人物を神として崇拝する」という日本人の文化を西洋人は理解出来ません。

彼らの言う「神」とは、万物の創造主たる絶対神、唯一無二の存在です。

人間を神とするなど言語道断。

その考え方が天皇を神とする考えに繋がり、軍国主義に繋がる野蛮な思想であるからと、偉人を神とする日本の文化が否定されてきた歴史があります。

日本人は誰も徳川家康のことを万物を創造した絶対神などと思ってはいません。

当然、天皇のことも。

「神」という言葉の概念がまったく違うのだと思います。

だからこそ、その違いを否定し合っても無意味で、互いに「違うもの」であると理解し、認め合って受け入れて、それぞれを尊重して共存していけば良いだけの話です。

自分とは違うと相手を否定し排除する全体主義的な考え方は、ただただ世界を破壊するだけ。

和を以て貴しとなす

八紘一宇の精神こそが世界を光で照らすと信じて、私たちは神社を参拝し、大いに桜を愛でる。

日本人らしく生きていけたらと思います。

伊達藩の仙台城から正確に北東の方角、つまり仙台の「鬼門」に鎮座し、まさに守護神として今も仙台の街を見守り続ける仙台東照宮。

今日の繁栄に感謝の気持ちを込めて、また参拝したいと思います。

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